元気に生きようシニアの生活ブログ

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シニアがペットと暮らす理由-1

      2016/06/28

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昨年、大型犬であった愛犬を亡くしたことを書きました。シニアになっても、また大型犬を飼いたいという気持ちがありつつ、その踏ん切りがつかなくて悩んでいる私です。気持ちの整理も含めて、いろいろ感ずるところを書いてみたいと思いました。

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そもそも、シニアとか言う前に、人はなぜペットを飼うのか?

小さな頃から、私の周囲には犬や猫がいた。でも自分で育てた犬を、その犬が死ぬまで世話をしたようなことは、子供時代にはなかった。それでも、いくつかの楽しい思い出と悲しい思い出がある。

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ある時、小学生の頃、大きな迷い犬が家に来て、しばらく可愛がって家に置いたことがあった。おそらくかなりの大型犬だったので、すぐに飼い主は見つかるはずと家族も考えていた。犬種は今となっては不明であるが、記憶を辿ると、秋田犬かラブラドールであったと思われる。飼い主が見つかるまでということであったが、なかなか現れず、私が学校から帰ると出迎えて喜んで飛びついてくるくらいになついて来た頃、ある日学校から帰るといなくなっていた。親が、保健所に連れて行ったということであった。その時のことを思い出すと、今でも悲しさが蘇り、胸が詰まるような感覚を覚える。

私が家族の一員としての犬を飼い、一緒に暮らし、そして死ぬまで看取ったのは、結婚して、子供が大きくなり、家庭を持ってからだった。その時に大型犬を飼うことになったのは、子供の頃の悲しい思い出が関係しているかもしれない。

誰に何を教えられるわけでもなく、とにかく私は小さな頃から犬が好きだった。世の中には、猫の好きな人も沢山いる。人はなぜペットを飼うのであろうか?

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日本では、犬、猫の飼育数はそれぞれ約1000万頭(2014年)と言われている。現在、人々が家庭で犬、猫を飼う理由は私が子供の頃の家庭が犬を飼っていた状況とはかなり異なると思う。昔は、犬は番犬であり、猫はネズミを取るという、”役に立つ”存在であることが家庭で犬や猫を飼う主たる(表向きの)理由であったのに対し、今は、人々が”結びつき(絆)の対象”として彼らの存在を位置付けているようである。

このような関係は人類動物学の研究により、明らかにされつつあり、最近では、動物をペットと呼ばないで、コンパニオンアニマル(伴侶動物)として捉え、動物と飼い主との間の感情的な絆により、ストレス解消などの精神面を含めた健康への効果も確認されている。

理屈はともかくとして、人が子犬や子猫を可愛いと思うのは、まずは本能的な部分があると思う。その後、動物たちを伴侶として、家族の一員として、共に暮らしていくのである。

さて、シニアにとっても、共に暮らしていくことよって享受する人間への恩恵は、健康面も精神面も、計り知れないものがある。その中で最も一般的に言われているのは、絆の確立とストレスの減少であろう。様々なテストによって飼い主と動物の関係が深いほど、これらの効果があることが示されている。(絆は幸せホルモンとも呼ばれるオキシトシンの増加で測定でき、ストレスはコルチゾールというホルモンの低下によって測定できる。)

動物は常に我々を受け入れてくれるし、人間との交流では得られない親密な接触を伴う関係を築くことができる。これらの効果は、バリバリ働く多くの現役の世代にも有効であるが、シニアで退職した年代で社会的な対人関係が希薄になった人にも、その人たちが心を許せる伴侶としての役割を果たしてくれる。社会的な人間関係が減っているシニアにとっては、同じように伴侶動物を飼う人たちとのごく自然な関係の構築が容易となる。犬を連れて散歩していると、それをきっかけに知り合いになるきっかけが非常に多い。

おそらく、シニアにとってペットを伴侶として飼うことは良いことである。いいことしかないよう見えるが、なぜ悩んでいるのでしょうか。この続きはまた書きます。

(次へ続く)

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